巡礼者の小道
黙すべきか黙さざるべきかーーヴォルムス帝国議会前夜に捧げられたルターの苦悶の祈り(1521年)
多元主義と相対主義(by R・C・スプロール)
神の不変性を想う(by ジョン・マクダフ)
なぜ「解放のミニストリー」によって人々はかえって束縛されるようになるのか――「霊の戦い」という世界観に対する警告(by ボブ・デウェイ)
脱構築(déconstruction)とキリスト教世界観(by ヴェルン・ポイスレス)
教会はいつ始まったのか?(by D・A・カーソン)
時代精神とキリスト者(by フランシス・A・シェーファー)
イサク・ワッツの信仰詩集
幽遠(ゆうえん)
たましいの恒久的「心療内科」としての詩篇歌と敬拝
ロックンローラーたちにハイジャックされたキリスト教会【音楽の領域における惑わし】
「求道者にやさしい(Seeker-sensitive)」礼拝とプラグマティズム(by R・C・スプロール)
さいわいなる不適応者たち――聖書的分離と敬拝(by A・W・トーザー)
「コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(CCM)」および 「CCM 賛美哲学」という語の説明と定義
お知らせです。
「ヘブル人への手紙の著者は女性であった可能性が非常に高い」という意見はどうでしょうか?
「1テモテ2:11-15の箇所は、新約聖書が、旧約聖書を正しく解釈し損なっているのです」という主張はどうでしょうか?
山々を見、永遠性に心を馳せ、神の栄光を想う。(ジョン・マクダフ)
季節の移り変わりと神の栄光
「『教会では、妻たちは黙っていなさい』(1コリ14:34)の箇所は、後代の筆記者による挿入句であり、神のみことばではありません」という主張はどうでしょうか?【キリスト教リベラリズムへの下り坂としての福音主義フェミニズム】
聖書解釈の原則――アナロジー・オブ・フェイス(=聖書は聖書によって解釈する)by R・C・スプロール
「字義的」それとも「文字通り」?――"Literal "という用語に関する本ブログの方針について(私の試験的な試みです)
偉大なる神!汝はなんと無限なる方でしょう!(イサク・ワッツの信仰詩)
Κοινωνία(交わり)について
「『牧会職は男性だけに限られます』『妻は夫に従え』というような今日的議論は、19世紀にクリスチャンが展開していた奴隷制擁護の議論とパラレル関係にありませんか?」という主張はどうでしょうか。
「もしも、アダムに権威が与えられた理由が、『アダムがエバよりも先に造られたこと』に由来するのなら、動物が私たちを支配するということになりませんか?」という主張はどうでしょうか。
諸契約の成就者キリスト
女性の結婚指輪は、祈りのベールの代わりになり得る??
諸文化を超えた恒常性について
ディダケー(12使徒の遺訓:Διδαχή των Δώδεκα Αποστόλων)第16章 終わりの時
ディダケ―(12使徒の遺訓:Διδαχή των Δώδεκα Αποστόλων)第15章 監督や長老について
東と西ーー福音主義プロテスタントと東方正教会の対話を聞いて思ったこと。